2016年4月7日木曜日

『ハムレット』第16場(4幕5場とも)について.その6

ハムレット Hamlet 飜譯本文:

『マクベス(下書き)』は,こちら
                              

『ハムレット』第16場(4幕5場とも)について.その6

さて,冒頭行き成り,狂つたオフィーリアの登場第一聲は,オフィーリアが父ポローニアスに成り切つてのもの…などゝ解説されても,俄には,この『新説』に信じがたい思ひを抱かれる方が殆どであらう.しかし,思ふに,さうした『驚き』こそ,シェイクスピアが『劇的效果』の面から狙つたものでもある.

と言ふのも,オフィーリア登場直前,その言動がをかしい事を,廷臣(Q2版.F1版ではホレイショー)の口から既に語らせてゐる.つまり作者は『種明かし』を進んで行つた.ならば,語りそのまゝにオフィーリアを登場させたのでは,さしたる驚きも,觀客は覺えない.これは今日の上演例を見ても明らかで,どれほど役者が聲を張り上げても,觀客の心に強い驚きを與へる事は無い.たゞ淡〻と,お定まりの『狂女』の場面を見せられるだけだ.

さうした『不首尾』を,シェイクスピア程の手練の作者が,するであらうか.が,しかし,實を言ふと,この場面を,僕は當初,これまでの解釋どほりに見て,オフィーリアの二度に及ぶ登場に退窟を覺え,シェイクスピアも芝居作りの基本を辨(わきま)へぬとはと,いさゝか呆れてゐた.「この程度か」と.今は己れの不明に呆れて,恥ぢ入るばかりである.シェイクスピアは,觀客の豫想を超えたオフィーリアの登場をもつて,應へてゐたのだ.ホレイショーによる『種明かし』は,充分に意圖された『仕掛け』なのである.まつたく見事な限りと言ふほか無い.


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