2012年10月27日土曜日

『ハムレット』第16場(4幕5場とも)について.その2

                                      

『ハムレット』第16場(4幕5場とも)について.その2

さて,ともかくも,かうして 第16場 の飜譯を始めたのだが,早速に Ophelia の臺詞に戸惑はされた.(まあ,戸惑ひは,僕の飜譯作業では,うんざりするほど,每度の事ながら…)

第16場 の冒頭場面で,Ophelia は,かう言つて,登場する.

Oph. Where is the beautious Maiestie of Denmarke?

この臺詞を,皆さんは,どう聽くのだらうか.

一般的に,まあ,常識的に考へてといふことであるが,beautious などの言葉を交へて人を搜すなど,遣(や)らぬことである.しかも the を附けて,beautious Maiestie( = Majesty ) などゝ,『普通』の臺詞ではない.たとへばである,いかに女王への呼掛けであるにしても,『世辭』が餘りに過ぎまいか.

一つの考へ方としては,この時 Ophelia は,すでに『狂氣』の狀態にあるからだとの見方,解説が有り得よう.と言ふよりも,それを,『最終的な答へ』として仕舞ふ考へ方だ.所詮は『狂氣』の爲せる,取留めの無い言葉といふ譯だ.つまり作者は,單に『狂氣』の一般的な『見本』を呈示したに過ぎぬと言ふのである.

はて,しかし,Shakespeare は,その程度の劇作家であつたのか.それではまるで素人が,『學藝會』用にでも拵へた,臺本ではないか.『狂氣』を患ひ,はじめて觀客の前にすがたを現はす折に,「はい,この通り,お定まりの『氣違ひ』になりました」では,あまりに情無い手法である.芝居と言ふものゝ,『あるべき流れ』として見た場合にも,僕としては受け容れ難く,飜譯作業が,阿呆らしく感ぜられたのだ.生意氣は承知ながら.

『芝居』はますます,『深み』へと嵌(はま)る人〻を描いて行くべきところであるのに,『お約束の段取り』などで,初演當時の『見巧者』なるものは,滿足したのか.Shakespeare は,その程度の觀客を,相手に芝居を書いたのか.こゝは,どうあらうとも,『衝擊的』な登場で無くてはならぬ筈である.いはゆるコントの類ひであつても,『あるべき流れ』の『定石』は,蹈 み外すまいに.

…などなどゝ,僕の不滿は,募る一方の有樣であつた.

さて,その他に…… (次囘へ,續く)


2012年10月23日火曜日

『ハムレット』第16場(4幕5場とも)について.その1

                                      

『Shakespeare の臺詞は,どう『詠まれる』べきか.』などゝ書き始めたところ問題が,『續出』といふか,實は,本題の『結論』が朗唱上の些事わたり,あまりに呆氣(あつけ)無くなりさうで,更には『日本語』の問題が,あれこれ眼につき手が止り,そこで些と『お休み』にして,『ハムレット』飜譯のことを,書く.(まあ,既に長〻休んではゐるが…)


『ハムレット』第16場(4幕5場とも)の解説について.その1

(『加筆』は Scene 16 で確認のほどを…と.)

僕の飜譯では,Scene 16 の冒頭,狂つて登場するオフィーリアにつき,歌を除く臺詞に關しては,ほとんど『自身がポローニアスとなり周圍に應對する』ことゝしてある.狂氣となつての一度目の登場の事だ.


なほ,同場二度目の登場では,逆に臺詞の殆どは,單に『狂女』の振舞ひとなる.(二度目では,一箇所『ポローニアス』として臺詞を言ふ.一度目の『片鱗』を殘してのこと.)


さて,さうした僕の『發想』(と言つても僕は,シェイクスピアはその樣に書いたと信じてゐるのだが…)が生まれた切つ掛けは,僕が從來の飜譯本に,尠くともこの場面につき,『退窟』を覺えた事にある.つまり,「オフィーリアは何故『しつこく』も,二度にわたり,同じやうな『狂氣』の姿で登場するのか…」と,不思議でならなかつたのだ.


また,もしこの役を,僕(まあ,若き日の僕)が演ずるとなつたなら(因みに僕は『女優』に殆ど興味無く,『生身の女は芝居を毀す』論者である.あくまで『女優』に關してだが),「どの『面(つら)』をさげて二度にわたり出て良いものやら」と,戸惑ひ,途方に暮れた事であらう,などゝ想像したりもした.だとすれば,「シェイクスピアはこの場の『處理』に,ドジを蹈 んだか…」とまで,考へたのだ.


以上は,この場を譯し始めるまでの『感想』である.


はて,しかし,ハムレットの飜譯本を讀まれる方〻は,さうした思ひを抱かぬものだらうか.『退窟』を覺えぬものか.『世界的名作』などゝ,構へて讀まずに見たならば,二度に分けての登場は,たゞそのまゝでは,舞臺が『ダレる』とは思はぬものか.日本語譯では『女言葉』で譯される爲,なかなか『疑問』を插(さしはさ)むのは,難しからうが….



(ついては皆〻樣より,コメントを賜りたく「乞ひ願ひ奉りまする」の次第にて…)


(この項,續く)